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宇都宮地方裁判所真岡支部 昭和59年(タ)4号 判決 1987年5月25日

原告(反訴被告)

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

木村謙

被告(反訴原告)

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

稲葉誠一

鹿野三郎

主文

一  原告(反訴被告)と被告(反訴原告)とを離婚する。

二  原告(反訴被告)と被告(反訴原告)間の長男先人(昭和四三年一月一七日生)及ひ同二男弘人(昭和四七年一二月二六日生)の親権者を原告(反訴被告)と指定する。

三  被告は、原告に対し、金四〇〇万円及びうち金一〇〇万円に対する昭和五九年四月二九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告及び反訴原告のその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、本訴反訴を通じ、これを三分し、その一を原告(反訴被告)の、その余を被告(反訴原告)の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  本訴請求の趣旨

1  主文一、二項同旨

2  被告は、原告に対し、金二〇〇〇万円及びうち金五〇〇万円に対する昭和五九年四月二九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  2項につき仮執行の宣言

二  本訴請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

三  反訴請求の趣旨

1  主文一項同旨

2  反訴原告と反訴被告間の長男先人の親権者を反訴被告と、二男弘人の親権者を反訴原告と指定する。

3  反訴被告は、反訴原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一一月二七日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

4  反訴に関する訴訟費用は反訴被告の負担とする。

5  仮執行の宣言

四  反訴請求の趣旨に対する答弁

1  反訴原告の請求を棄却する。

2  反訴に関する訴訟費用は反訴原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  本訴請求原因

1  原告と被告は、昭和四一年二月一一日に婚姻届出を了した夫婦であり、その間に同四三年一月一七日に長男先人が、同四七年一二月二六日に二男弘人が出生した。

2  婚姻の破錠に至るまでの経過

(一) 原告ら夫婦は、被告が鉄橋建設を業とする株式会社宮地鉄工所の工事課員であることから、結婚後は半年ないし一年毎に建設現場の所在地を転々としていたが、昭和四七年長男が幼稚園に入つたを機に、原告と子は埼玉県上尾市の団地に住み、被告は現場に単身赴任する別居生活が始まつた。

(二) 別居生活になつてから、被告は、殊の外猜疑心が強くなり、赴任先から電話をかけてたまたま原告が買い物などで留守であると、不貞を働いているかのごとく疑い遂一行き先を問い質すことが多くなつた。被告は、金銭面に細かく、赴任先から帰宅すると先ず家計簿を出させて、食料品等の一つ一つについて前日と値段が違つていることなどをあげつらつて原告の家計のやりくりを非難したり、交通費の支出が記載されていると「遊び回つている。」と文句を言つたり、あるいはレシートのない買い物について給料からの支払いを禁じたりした。

(三) 原告らは、昭和四七年四月に大宮市丸ケ崎町一八番一一宅地一七二・一〇平方メートル(以下、宅地という。)を購入し、同五二年三月に大宮市丸ケ崎町一八番地一一所在、家屋番号一八番一一、コンクリートブロック造陸屋根二階建居宅、床面積一階六五・六九平方メートル、二階四二・七五平方メートル(以下、建物という。)を新築した。しかし、被告は、真岡に住む両親の面倒をみることを条件に両親名義の田畑の贈与を受けたこと(昭和五五年四月)、自身は単身赴任で自宅にいるのが少ないことから、原告に対し「自分が親から財産を貰えるのだから、妻子が犠牲になるのは当然だ。」と言つて、原告と子が真岡に住むことを強要し、原告や成長しつつある子と次第に対立を深めた。

(四) 被告は、何事も自分の思い通りにならないと気の済まない性格で、自分の考えが容れられないと直ぐ暴力に訴える性向があつたが、昭和五五年ころからはそれが顕著になつた。又、被告は、原告に対する嫌がらせとして、生活費用の預金通帳・印鑑を被告の実家の両親に預けてしまうことがよくあり、原告はその都度原告の実家からの援助や内職などで生活を賄うことを余儀なくされた。

(五) 昭和五七年夏ころからは、被告は生活費を一切渡さなくなつたため、原告は内職をしたりパートに出たりして生活費や子供の教育費を得た。当時、原告は子供たちとも相談し家を出ることも考えたが、長男の高校受験が済むまでは我慢することになつた。

(六) 昭和五八年一月、原告は些細な理由で被告から耳をちぎられんばかりに引つ張られるなどの暴行を受け、余りのことに長男が止めに入つたところ、被告が長男まで殴りつけたため、原告はその場を納めようとして家の外に出たが、被告に玄関の鍵をかけられてしまい、被告が寝入つたのち長男が二階から下ろしてくれた梯子で家に入ることができるまで、寒中戸外に立つていた。

(七) 原告は、長男が高校受験期であることから、その後も忍耐を重ねた。昭和五八年三月長男が浦和高校に合格し、原告は子供たちと共に、これによつて被告のこれまでのような独善的な生活態度が改まることに期待をかけたが、その後も「三学期の成績通知表を自分に見せていない。」等の理由で家族を怒鳴り散らしたため、もはや正常な家族生活を営むことは不可能と考え、家を出ることを決意するに至つた。なお被告は、これまでも事ある毎に原告に対し「出て行け。」と言つており、これに対し原告は、二男の終了式が終わつた時点で出ていくと伝えていたものである。

(八) 原告は、昭和五八年三月二六日二人の子と共に家を出て、実家のある下館市に転居した。家を出るに当たつて、原告は、被告から財布の中身を全て抜かれたうえ、保険証まで取り上げられた。さらに、同年六月一日、被告が原告を訪ねてきて結婚指輪・時計を返せと強く迫つたため、原告はやむなくそれらを返還した。

3  離婚原因

右のような、被告の猜疑心が強く、吝嗇で独善的な性格及び物理的又は経済的手段による虐待などにより、原被告間の婚姻は完全に破錠しており、右破錠は被告の責めに帰すべきものであるから、右婚姻には民法七七〇条一項五号の離婚原因があり、原告は、被告との離婚を求める。

4  親権者の指定

原告は、昭和四七年四月以来、ほとんど独力で二人の子を養育しており、前記のとおり二人の子とは深い信頼関係で結ばれているのに対し、被告は生活の大部分を赴任先で送つていて、子の教育監護に当たることは不可能であるばかりか、昭和五八年三月の家出後原告ら母子が困窮生活を送つているのを熟知していながら一円の仕送りもしていないことから明らかなように親としての情愛に欠けている。よつて、二人の子の親権者はいずれも原告に指定すべきである。なお、被告が二男の親権者になることを望んでいるのは、母である原告に対し、子供を奪われる苦痛を与えようとの意図に基づくものであつて、断じて許されない。

5  慰謝料

原告は、昭和四七年ころから、前記のとおり被告に種々虐待され苦しめられ続けてきたもので、これにより原告が受けた精神的苦痛は極めて大きいのでこれに対する慰謝料として金五〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五九年四月二九日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

6  財産分与

原告ら夫婦は、昭和四七年四月一五日に宅地を金四〇〇万円で購入し、次いで同五二年四月七日に建物を金一二〇〇万円で新築し、いずれも被告名義で所有権の登記を経由した。右金一二〇〇万円のうち金三〇〇万円は原告の父に出してもらい、残りの金九〇〇万円を住宅金融公庫から被告名義で借り入れ、その残額は約三五〇万円となつている。右宅地建物の相続税評価額は金二一二九万七一〇〇円であるので、その時価は、金三〇〇〇万円を下ることはない。右の資産を取得できたのは、原告が被告の留守を守つて家事・育児に専念しつつ、傍ら内職等に努めて家計を助けたためであり、被告は自己名義の少なからぬ預貯金を有していることに鑑みると、夫婦財産に対する原告の潜在的持ち分は金一五〇〇万円を下らないから、原告は、被告に対し、財産分与として金一五〇〇万円の支払を求める。

7  よつて、原告は、被告に対し請求の趣旨のとおり判決並びに仮執行の宣言を求める。

二  本訴請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の(一)の事実は認める。同(二)の事実のうち、単身赴任後の被告が原告に対し性的猜疑心を強めたことは認めるが、その余の事実は否認する。同(三)の事実のうち、宅地の購入、建物の新築、被告の親名義の田畑の受贈は認めるが、その余の事実は否認する。同(四)の事実は否認する。同(五)の事実のうち、原告主張のころから被告が生活費を供与しないこと、そのころから生活費の財源が原告主張のものであることは否認し、その余の事実は知らない。同(六)の事実のうち、原告主張のころその主張のごとき暴行を被告が加えたこと、原告が屋外に出たこと及び長男が原告を屋内に入れたことは認めるがその余の事実は否認する。同(七)の事実のうち、被告が成績通知表の件で原告に対し怒鳴つたことは認めるが、怒鳴つた相手が子供達を含めた家族であること、被告が事ある毎に家出を強要したこと、原告がその主張のころ被告に対し家出を表示したことは否認し、その余の事実は知らない。同(八)の事実のうち、止むなくとの点は知らないが、その余の事実は認める。

3  同3ないし5の各事実は否認し、その主張は争う。

4  同6の事実のうち、宅地建物の取得に関する事実及び被告が原告主張の預貯金を有することは認めるが、宅地建物の時価は不知、被告の資産取得が原告の内助の功に負うことは否認し、その主張は争う。

三  反訴請求原因

1  本訴請求原因1と同旨

2  離婚原因

反訴原告と反訴被告の婚姻破錠の原因は専ら反訴被告にある。反訴被告が、将来は反訴原告の実家に戻り両親に孝養を尽くすという反訴原告の根本的な生涯設計に、結婚当初より反対してきたことが婚姻破錠の根本原因である。

反訴原告は全国至る所の河川に橋梁を架ける宮地鉄工所に学卒後奉職した関係で全国を股にかけて現場技術者として働かざるをえなかつた。当初数年は反訴被告と長男を帯同していたが、長男が幼稚園教育を受けるようになつたころ埼玉県上尾市の団地住宅に家族を残して反訴原告だけが単身赴任するようにした。昭和四五年に大宮市が区画整理の保留地の公売を行い、これを探知した反訴原告の父の尽力で金三八〇万四二七〇円で落札入手した。この際、金三二〇万円は反訴原告の独身期の貯金で充てた。その後、昭和五二年四月に念願のマイホームを右地上に建てたが、将来の面倒を見て貰いたい反訴原告の父は虎の子の金三〇〇万円を融通してくれた。住宅金融公庫の融資は金五〇〇万円に上り、同年七月より月額金三万六五一五円を二〇年にわたつて償還中である。残りの金四〇〇万円は反訴原告の結婚後の貯金を充てた。

右のようにして埼玉県に居を構えたものの、長男の責任を痛感する反訴原告は、前記のような生涯計画を反訴被告に常々語り、協力を切に求めたが、賛意は得られず、反訴被告の父兄も親の非扶養を条件に婚嫁させたと嘯く始末であつた。しかして、反訴原告の妹夫婦の一時的実家同居を奇貨としてその永続を望むに至つては反訴原告の進退ここに窮まつた感があつた。

反訴原告の単身赴任生活は久しき亙つているが、望郷の念に駆られる反訴原告に対する反訴被告の思いやりの欠如は前記の夫婦間に生じた溝を次第に深めていつた。実家遠く離れた反訴原告に渇望する便りを催促しても送らぬこと、催促に対しては子の養育に忙殺され余暇なしと口実を構え、電話でも可と言えば遠隔の赴任先で電話料金が嵩むといい、やむなく反訴原告から屡々電話に及ぶと猜疑心云々と非難し離婚原因にも挙げている始末である。赴任先から長駆帰省した反訴原告が肩凝りの揉み療治を頼めば目を釣り上げ私にも同じ症状の日がある、その苦しみが判るであろうと冷笑する。晩酌のはつけてくれず、悪くすると酒を切らす。肴が冷蔵庫に無いので聞くと、無いのが判らないのかの答え、嫌いなタコに苦情を言えば、私が食べるからいいの答えが返つてくる。性関係についても、疲れたからと鼾をかいて一足先に床に伏してしまい、夫の機嫌をとる態度をとらないことは一再に止まらなかつた。又、久々の子供との対話の機会を作ろうともせず、夕食・入浴が済むと二階の子供部屋に追い上げる始末であつた。右の次第であるから、長駆団欒を求めて帰省し乍ら、軋轢に終始し、反訴原告の塵労は集積一途であつた。

よつて、離婚を求め、反訴原告を慕う二男弘人の親権者の反訴原告への指定、精神的苦痛を慰謝する金員五〇〇万円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である昭和六〇年一一月二七日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払並びに仮執行の宣言を求める。

四  反訴請求原因に対する認否

反訴請求原因事実中、反訴被告の本訴請求における主張に副う部分は認め、その余の事実は否認し、主張は争う。

第三  証拠(省略)

理由

一<証拠>を総合すると、本訴請求原因1、2の(一)の各事実及び同2の(三)の事実のうち宅地の購入、建物の新築、被告の親からの田畑の受贈に関する事実のほか、次の事実を認めることができる。

1  被告は、大学を卒業して、婚姻当時は株式会社○○鉄工所に勤務し、橋梁の建設現場で働き、現場所在地を転々として暮らしていたが、原告と見合いし婚姻した。当初は現場の所在地に妻子と同居したが、昭和四七年長男が幼稚園に入つたのを機に妻子を上尾市の団地に残して、単身赴任して以来単身赴任生活が続いている。被告は、給料を原告の所持する預金通帳に自動振込送金し、これにより原告に家計をまかせ、自分の赴任先での生活費は主に勤務先から支給される出張手当等の各種手当で賄つた。そして、被告は長男なので、将来は両親の住む真岡市に帰り親に孝養を尽くしたいものと考えていたが、勤務の関係からままならず、妻子だけでも早く郷里に帰り住んで貰いたいとの強い希望を持つてはいたものの、原告の到底納得するところではなく、大いに不満を持つていた。

2  原告は、下館市の第二高女を卒業し、見合いのうえ、大学を卒業して一流企業に勤務しており、優しそうに思われた被告と婚姻し、当初は被告の勤務地について回つたが、長男が幼稚園に入つたのを機に被告を単身赴任させ、自分と子供は上尾市に住んだが、昭和五二年には建物ができたので、大宮市に移り住んだ。そして、生計は、被告の給料が自分の所持する預金通帳に自動振込送金されるので、主にこれで賄い、多少の内職等もした。ところで、被告より婚姻直後ころから、自分は長男であるので将来は郷里の真岡市に戻つてくれとは言われたが、もともと被告の田舎に被告の両親と一緒に住むのは嫌いであつたうえ子供の成績も良かつたことから、将来は被告の郷里に居住するよりは子供に託そうとの気持ちもあつて、被告の要請にはつきりと拒絶の意思は表示しないものの、決して応じようとはせず、又、子供の教育についても被告に相談することなく専ら自分の判断で決めていた。

3  右のとおりの事情であつたので、原告と被告の間には被告の単身赴任後次第に軋轢を生じた。即ち、被告は、単身赴任中の佗しさから、原告からの手紙や電話を期待し、それを要求もしたものの、原告の方では、生活費については自動振込送金で確実に入り、長男の成績も良かつたことから生活上特に不安も感じず、被告に対しては余り気をつかうこともなく、被告から執拗に言われる郷里の真岡に住んでくれとの希望にも明確な言辞を避け、これに応じようとはしないで過ごした。そこで、被告はそのような原告に対し、貞操や金銭の使途につき猜緊するかのような嫌味を言うようにもなり、それがかえつて原告の気持ちを頑なにし、被告は帰宅する度に原告からは冷淡に扱われて不満は募つた。被告も原告も共に前述の各自の希望を通そうとすることから些細なことでも衝突することが多く、原告は、二人の子と密着しこれを自分の勢力範囲内に置いて被告に対抗しようとし、他方、被告は、原告に対し経済的に圧力を加えようとして赴任先から帰宅すると家計簿を出させて、支出を細かく点検し、原告のやりくりを非難したり、支払に細かい指示を加えたり、自動振込送金用の預金通帳を原告から取り上げ真岡市の実家に預けるなどの手段に訴えたり、原告に対して電話して不在であつたときの行き先などを問い詰めることが多くなり、更には原告に対し口論のあげく暴力等をも振るうことも起きた。

4  被告は、昭和四七年四月に宅地を購入し、同五二年三月には建物を新築した。その購入等の資金は、被告の収入から貯えた被告の貯金や、被告の父親から贈与を受けた金員を充てたほか、住宅金融公庫から被告名義で借り入れた。しかし、被告は、長男であり、勤務で各地を転々とするけれども、将来は、郷里の真岡市に帰り両親の面倒をみるつもりでいたところ、昭和五五年四月に両親の面倒をみることを条件に親から田畑の贈与を受けたので、その後は、原告に対し「自分が親から財産を貰えるのだから、妻子は真岡市に帰つて住んでくれ。」と言うようになつたが、原告自身は、右のように建物を新築したことから大宮市に居を構えて将来も被告の両親のもとである真岡市に帰ることはあるまいし、真岡市に帰ることは妻子が犠牲になることだと考えたので到底肯んじることはなかつた。

5  右のように軋轢を生じていたが、昭和五七年八月末ころ、被告の真岡に帰つて欲しいとの要請に応じようとしない原告の態度に業を煮やした被告が真岡市の実家に原告の兄と仲人を呼び、「将来は真岡に帰るつもりだ。」と言明したところから夫婦の仲は極端に悪くなり、被告の方からは、原告に対し、自動振込送金用の預金通帳を取り上げ、生活費を渡さないという手段もとつたため、原告は内職をしたりパートに出たりして生活費や子供の教育費を得るということもあつた。その当時、原告は子供たちとともに家を出ることも考えたが、長男の高校受験が済むまではと様子をみていたところ、昭和五八年一月、原告と被告はまたしても将来の真岡市への引き揚げ等を巡つて口論し、ついには原告は、被告から耳の付け根が裂けるほどの引つ張られるなどの暴行を受け、「おれも黙つていられない。」と出て来た長男にまで被告が殴りかかつたため、原告はその場を納めようとして家の外に出たが、被告に玄関の鍵をかけられてしまい、被告が寝入つたのち長男が二階から下ろしてくれた梯子で家に入ることができるまで、寒中戸外に立つていたことがあつたため、原告は、家を出る決意を固めたものの、長男が高校受験期であることから、ともかくも我慢して自宅にいた。そして、昭和五八年三月、長男は原告念願の進学校である浦和高校に合格を果たしたので、原告はこれによつてあるいは被告の妻子は真岡市に帰れとの意向も変わるのではないかと期待もしたが、その後も被告の態度は変わらず、「三学期の成績通知表を自分に見せていない。」等と言つて被告にはかることなく長男の進路等を定めた原告を責め怒鳴り散らしたりしたので、原告はもはや共に家族生活を営むことはできないと考え、子供らを連れて家を出ることとした。

6  原告は、原告の実家の援助を受けて、昭和五八年三月二六日、二人の子と共に原告や子らの家財道具を運び出し、家を出て、実家のある下館市に転居した。家を出るに当たつて、原告は、被告から財布の中身を抜かれたうえ、保険証は貰えなかつた。その後原告の申し立てた離婚調停係属中の同年六月一日、原告は訪ねてきた被告から結婚指輪・時計の返還を迫られ、これに応じたこともあつたので、原告の被告に対する気持ちはますます冷え切つてしまつた。

7  右家出後ほんの僅かの期間実家の世話になつた後、原告は、現住所に家を借り、二人の子と同居し、生活費や教育費等については、原告が縫製工場に勤めて月額金八ないし一〇万円の収入を得るほか、家庭裁判所における婚姻費用の分担についての仮の処分により被告から取り立てる月額金一二万円の金員で賄つている。

以上のとおり認定することができ、原告及び被告の前記各供述中には右認定に反する部分があるが措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はなく、右認定を超えて原告及び被告主張の各事実を認めるに足りる証拠はない。

二離婚について

右認定の事実により判断すると、原被告間の婚姻は、事実として破綻しており、破綻の原因は原告及び被告双方の責に帰すべき場合であると認められる。

即ち、原告については、被告が単身赴任することのやむをえない職業に就いていることは婚姻の当初より分かつていたはずのものであり、被告が長男であり両親の住む真岡市に帰りたいとの希望を持つことは無理からぬことなのであるから、これらについて理解を持ち、被告の希望についても相談のうえ歩み寄ることも可能であり、少なくともそのための話し合いをすることが婚姻継続のうえから必要と考えられるのに、それに対する理解をしようともせず、自分勝手であると言わざるを得ない状態を続けて婚姻を破綻させるに至らせたものであり、他方、被告については、真岡市に帰り親に孝養を尽くすことが絶対的な価値であるかのように考え、自己の立場に固執しているが、妻子の立場からすると必ずしもそれは絶対的なものとはなりえないのであるから、原告と十分協議の上妥協点を見いだすことも必要であり、かつ、それが可能であると思われるのに、専ら自己の欲求に原告を服従させるのに急であり、原告の希望を頭から否定し、その結果原告から反発されると対抗策として生活費を渡さず暴力を振るう等の手段に出て、婚姻を破綻に導いたものであると認められるので、婚姻が破綻するに至つたことについては双方に責任があると認められ、本訴反訴ともに民法七七〇条一項五号の事由があり、離婚を求める原告及び被告の請求はいずれも認容すべきである。

三親権者の指定について

親権者の指定に関する事情については、被告本人尋問の結果(第二回)によれば、被告は、単身赴任を続けてはいるが、被告自身が長男であり、子に将来を託す気持ちもあつて、被告を嫌つている長男はともかく被告を慕つている二男の親権者となりたいとの強い希望を持つていること、親権者として子の監護養育については、被告が退職するまでの間は真岡市の両親のもとに居住させ、右両親及び同居している被告の妹を監護補助者としてこれに養育させる予定であること、養育に要する費用については十分に資力があること、他方、原告本人の尋問の結果(第一、二回)によれば、原告は、ずつと子らと生活を共にしてこれを養育してきており、子らも原告に深い信頼を寄せていること、原告の収入では母子三人の生活を維持していくことは困難であるが原告としてはどのような方法によつても子の養育をしていく覚悟であることを認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、原告、被告ともいずれも親権者たりうるものであり、特に優劣があるとも言えないが、これまで主として原告が子らと生活を共にしてきており、その間経済的事情のほかはとりたてて問題となるようなこともなかつたのであるから、原告を親権者と指定し二人の子を原告と生活を共にさせる方が、被告を親権者と指定して子を被告の両親のもとに居住させるよりは環境の変化が少なく、子らの精神的な安定に良いと思われること、経済的な面については、経済力のある被告が優位のようにも見えるものの、長男先人が既に稼動可能な年齢に達しているほか、原告において子を育てるについての努力をすることを誓い現に稼動しながらある程度の生活のための収入を得ていること、その不足分は、原被告間において養育料等の協議をし、最終的には養育料についての審判で解決可能であると認められることから、経済的な優位は必ずしも親権者指定の決定的要因とはならないこと等その他諸般の事情を考慮し、長男先人及び二男弘人の親権者はいずれも原告に指定するのが相当であると認められる。

四慰謝料について

前記認定の原被告間の婚姻破綻の経過に照らせば、原告は、被告の強い望郷の念及び親に対しての孝養をしたいとの希望をついに受け容れず、自己の欲求を貫いて被告を悲嘆の極に陥れ、ついには被告の暴行を誘発したものではあるけれども、少なくとも昭和五五年ころから被告より十分の扶養を受けず、何度かの暴行を受け、結果として婚姻を破綻させられたのであり、これにより原告が受けた精神的苦痛は、被告が受けた損害に比して大きいものと認められるところ、その他諸般の事情を考慮して、損害賠償請求については、原告の慰謝料請求についてのみ金一〇〇万円の支払及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五九年四月二九日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこの限度で請求を認容することとし、原告のその余の慰謝料請求は理由がなく、又、被告の慰謝料請求は原告の損害に比し未だ損害賠償を求めうるものとは認められないので棄却することとする。

五財産分与について

原被告らの婚姻中の財産の形成については、前記認定の宅地建物の取得の経過についての事実によれば、宅地建物は、被告がその収入により取得したものであつて被告の特有財産であると言うほかはなく、弁論の全趣旨によれば、被告が少なからぬ預貯金を有していることが認められるものの、前記認定の婚姻中の原被告の稼働状況に照らし、これまた被告の特有財産と言うほかはないが、他方、前記認定の婚姻の経過に照らすと、原告が被告の単身赴任中の留守を守つて家事・育児に専念しつつ、傍ら内職等に努めて家計を助けてきたことが被告の前記特有財産の取得に全く資するところがなかつたものとは言い難く、原告と被告の夫婦財産に対する原告の潜在的持ち分がある程度はあるものと認められる。ところで、前記宅地建物の時価は明確ではないが、<証拠>を総合すれば、右宅地建物の相続税評価額は金二一二九万七一〇〇円であることから、その時価は少なくともこれを下まわることはないものと認めることができるので、この価格及び原告と被告の婚姻生活の経過、期間等諸般の事情を考慮し、財産分与として、被告は原告に対し金三〇〇万円を分与するのが相当であるものと認められるから、被告に対し、原告に金三〇〇万円の支払をなすよう命ずることとする。

六以上のとおり、原告の本訴請求及び被告の反訴請求中、離婚請求はいずれもその理由があるから認容することとし、親権者の指定については前記のとおり定めることとし、原告の本訴請求中慰謝料請求は前記の限度で理由があるから認容し、財産分与請求については前記の通り定めることとし、原告及び被告のその余の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用し、原告の請求について仮執行の宣言は相当でないから付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官菅 英昇)

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